管理者プロフィール

かよすけ
かよすけ
はじめまして、「かよすけ」です。
私は、都会の家を売り、
次元の超えた「ど田舎」へ
移住するアラフォーです。

私は、
人生設計をほとんどしてこなかった結果、
特別なスキルや輝かしいキャリアはありません。

人生の大きな転機が訪れた瞬間、初めて人生設計の大切さに気がつきました。

そして今、目標を掲げて新しい挑戦を始めようとしています! 

目標は、【ど田舎でも在宅ワークで月収30万円を目指す】

これまで無計画に過ごしてきた私ですが、
経験豊富な方々の知識をもとに、
年間計画を立てて行動すれば、1年でこの目標が実現できると考えています。 

なぜ私がこんな挑戦をしようと思ったのか、
これまでの人生を振り返りながら、その理由をお話ししていきたいと思います。

基本情報

名前:かよすけ
家族:夫
   チワワ(11歳♀)
   ミニチュアダックス(8歳♂)
生年月日:1984年11月22日
職業:会社員
趣味:ワンコ溺愛
   健康情報を集めて実践する
   料理の美味しいお店を開拓する

なぜ田舎移住なのか?

千葉のマイホームを売却してまで、島根移住を選んだ理由は、3つあります。

①祖母の家が長年空き家で、両親が老後に暮らした後、私が受け継ぐ予定であること
②夫も犬も田舎をとても気に入ってくれたこと
③田舎の80代・90代の方々がとても元気だったこと

③は、受け継いだ家を次世代へつなげていく責任がある私にとって、
ご長寿たちをお手本にしながら田舎暮らしをすることで、
自分自身も健康長寿を目指せるのではないかと感じたからです。

移住を決心した最大の出来事

それは突然のことでした。
仕事で元気に全国を飛び回っていた父が、70歳で突然弱り、歩けなくなったのです。
要介護2の状態では、両親が計画していた老後の田舎暮らしが困難になりました。

このことがきっかけで、田舎移住は、年を取ってからでは遅い、
体力があるうちに田舎の生活に慣れ、日々健康に気を使って過ごすべきだと強く感じ、
40歳の今しかない!と移住を決断しました。

人生の無計画さが露呈した現実

今思えば、
将来の田舎移住は分かっていたはずなのに、
「老後にやってくる遠い未来のこと」としか考えていませんでした。

いよいよ現実的になり、
向き合うことになった課題は、

  • 目前に迫った両親の介護
  • 維持管理費がかかる田舎の家
  • 子どもを持たない夫婦の自らの老後資金

課題は生活スタイルや資金のことばかりですが、
島根の田舎では、理想の仕事が全くありませんでした。

そんな時に出会ったのが、
【在宅ワーク】という場所に縛られない働き方でした。

自分の頑張り次第で、
地方の給料格差も乗り越えられるところに魅力を感じました。

これらの考えに至った背景を、
私の生い立ちとともに振り返ってみようと思います。

生い立ち

幼少期:健康意識のはじまり

私は京都市で生まれ、父と母、妹の4人家族。  

生後3ヶ月のとき、股関節脱臼と診断され、
「将来歩けないかもしれない」と言われたのです。  

顔面蒼白の母は、私のために保育士を辞め、専業主婦になりました。
全力を尽くしてくれたおかげで、
何の不自由もなく歩けるようになりました。  

追い打ちをかけるように、小麦、卵、牛乳のアレルギーが発覚。
小学校の給食では、白ご飯とお茶を持参する日々でした。  

母が全力で食生活を整えてくれたおかげで、
小学校6年生には、アレルギーは完治。
感謝してもしきれません。

この経験が、
「健康長寿を目指したい」という
意識の根底にあり、
田舎暮らしをより魅力的に感じさせているのかもしれません。

それ以外は、学力も中の下くらいの平凡ガールでした。

学生時代:いつも周囲を驚かす小さな挑戦

小学校の6年生で、集団登校の班長に立候補。
朝起きるのが苦手な子なのに?!と母は驚いていました。

中学校入学時には、帰宅部だったのに、
突然、2年生の後半から美術部に部長として入部し、
3年生には、文化祭の舞台壁画の企画を立ち上げ、成功させました。
今でもその行事が続いていると聞いて、少し誇らしい気持ちになります。

高校では、新入生歓迎会で目にした体操部に憧れ、経験ゼロで入部し、部長に。

改めて思い返すと、突然思い立って何かに挑戦することが多かった学生時代でした。
これが今の「挑戦する力」を育ててくれたのかもしれません。

しかし、大学ではなんの挑戦もなく、将来のやりたいことは見つけられませんでした。

社会人:実は、目指した未来を自分で切り開いていた

大学で学んだことを活かすことなく、一般企業へ入社。

大学からは、何の挑戦もしていないな。。と
寂しくなっていたのですが、ひとつ思い出したことがあります。

社会人1年目は、
コールセンターの仕事をしましたが、
「お客様と直接接したい!」という思いが強くなり、
グループ会社に「異動願」を提出。
なんと、グループ初の人事異動を成し遂げていました!

しかし、その後は…

人生の転機を、言い訳して生きてきた過去

「これだ!」と思えるものがあれば、大胆な行動もできる私ですが、
毎日平凡な日常を過ごすうち、そんな想いはいつの間にか忘れていきました。

20代の私にとって、直近の目標といえば、
「結婚と子育て」
結婚後、すぐに妊活を始めたものの、子どもを授かれないことがわかり、
私は目標を失いました。

その後は、人生の節目や夫の転勤を言い訳にして、
目の前の条件や給料だけで仕事を選び続けてきた結果、

気づけば、私の履歴はこんな感じになりました。

①塾の受付
②コールセンター
③ボーリング場の受付
④飲食業(多数)
⑤小売業
⑥保険外務員
⑦パソコン教室の講師
⑧銀行業務

どれも一生懸命に取り組んできましたが、
一貫性はゼロ。

どの仕事でも認められるものの、
振り返れば、キャリアもスキルも積み上がっていませんでした。

その理由は簡単で、
「キャリア設計」をせずに、その時々で興味がある仕事を選んできたからです。

キャリア設計してこなかった人生の人間が、
未来の仮説を立てて行動をしたら
成功するのか

その軌跡を、ここでお見せしていきたいと思います。

具体的な計画は、こちらの記事にまとめました。